2019年8月 9日 (金)

■実践編vol.17 世界観と設定のつくり方、リアリティの出し方

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J0017  
      

 久しぶりの更新になります。
 今回は、読者さまからいただきましたご質問が、同じような悩みを感じておられる他の読者さまのお役に立つのではないかと思い、ワタクシなりに「キャラクター原理創作論」の見地から、答えさせていただきました。
 では、まず読者さまのご質問から。

   
~読者さまからのご質問~

Q.「今つくっている作品の世界観が上手くイメージできない、うまくまとまらない、世界観に魅力を感じられません。作品世界のイメージをしっかりしたものにしていくために良い方法はないでしょうか?」
 
A.世界観をつくるのは、なかなか難しいですよね~。
 とくに「異世界」を舞台にしたものだと、どこかで見たような漠然とした世界にしかならなくて悩みますよね。
 物語って、舞台に凝らなければならないのでしょうか? どういうものが、魅力的な舞台になるのでしょうか? どうすれば独自性のある舞台、世界観をつくり出すことができるのでしょうか?
 今回は、世界観のつくり方について、考えてみたいと思います。
   
   
魅力的な世界観とは、「キャラクターを引き立てる世界観」のことである!
   
 世界観を考えるときに、いちばん大事な、鍵となる要素は、やはり「キャラクター」です。
 キャラクター(主人公)をつくった時点で、その人物が住む世界という形で、ある程度世界観のイメージが浮かんできます。主人公の職業が決まれば、なおのこと世界観は明確になっていきます。
 その意味では、主人公を先に考えてから、それをもとにして世界観をイメージしていくという順序になるかと思います。
 それを踏まえて、どうすればキャラクターからイメージして魅力的な世界観をつくることができるのでしょうか。
 いろいろな物語を読んでいると、「すごい魅力的な世界観だなあ~」と思う作品とたくさん出会います。じつは、それらの作品は、世界観が魅力的、なのではないのです!
 世界観を魅力的に見せているのは、じつは主人公を始めとしたキャラクターたちなのです。世界観というものは、キャラクターによって魅力が引き出されていくものなのです。
 キャラクターは世界観によってその魅力が引き立てられていくということは、これまでにも述べてきましたが、じつは世界観もキャラクターによって引き立てられていくのです。つまり、キャラクターと世界観、舞台というものは、互いに引き立て合う関係性があるのです。だから、世界観だけを魅力的にしようとしても、なかなか魅力的な世界観がつくれないのは、そのためなのです。
 だんだんと魅力的な世界観の正体が判明してきましたね。そうです、魅力的な世界観をつくるポイントは、「キャラクターとの組み合わせ、相性」なのです。
 そのキャラクターをどんな世界に置けば、いちばんそのキャラクターが輝けるか、キャラクターと舞台設定の組み合わせを重視して、世界観のイメージを固めていくのです。そうして、キャラクターが輝いていけば、自然とその世界観自体にも輝きが宿っていくのです。
 以前どこかで書きましたが、『北斗の拳』という作品は、魅力的な世界観を考えるうえで、お手本となる作品です。
 この作品の主人公「ケンシロウ」は暗殺拳「北斗神拳」の伝承者でカンフーの達人という設定です。そして、この人物が最も輝ける世界が、中国でもなく、アメリカでもなく、「核戦争後の荒廃した世紀末世界」だったのです。
 『北斗の拳』の成功の鍵は、この「キャラと世界観の組み合わせの巧みさ」にあると、筆者は思います。
 拳法というと、短絡的に中国という舞台が頭に浮かびます。あるいは、ちょっと気の利いた作者なら、拳法というものが存在しないどこか外国を舞台にして、そこで謎の拳法家がその拳法を武器に大活躍するという世界観を設定するのが関の山だと思います(それでも十分面白そうですが、それではまだまだありきたりです)。
 しかし、『北斗の拳』は、その斜め上を行き、「核戦争後の荒廃した世紀末世界」という、「暴力と略奪がはびこる悪者天国な、退廃的で絶望的な世界観」を舞台にしました。
 だからこそ、めちゃくちゃ強くて悪人をケチらしていくケンシロウは、「善良な人々と世界にとっての唯一の希望」となるようなポジションで輝き、キャラがドンドン立っていくのです。人々の絶望が深ければ深いほど、世界が狂っていればいるほど、「圧倒的に強く、弱い者の味方であるヒーローとしてのケンシロウ」は引き立っていき、ケンシロウが引き立てば立つほど、世紀末という独特の世界観もまた、引き立ち、魅力が深まっていくのです。
 だから、世界観、舞台設定を考える際は、どんな世界を舞台にすれば、その主人公が輝くのか、それだけを考えて「世界観と主人公の組み合わせ」を考えてみてください。
 世界観づくりは、「組み合わせが命」なのです。
   
   
世界観を何倍にも面白くするスパイス「状況設定」
   
 世界観を考える際は、主人公がどんな世界で生活しているのかという舞台設定に加えて、「主人公がどのような状況で生活しているのか」という「状況設定」も、合わせてイメージしていくことが重要です。
 なぜなら、同じ世界感でも、状況が違えば、世界観はまったく違ったものになるからです。世界観というものは、この状況設定も含めてイメージしていくべきものなのです。
 たとえば、私たちの住むこの現代日本の日常世界でも、お金持ちと貧乏学生ではやはりその主人公を取り巻く周囲は大きく変わっていきます。アイドルとサラリーマンでも、学生と社会人でも、穏やかな家庭環境と何らかの問題を抱えている家庭とでは、やはり世界は大きく変わります。日本人が日本で暮らすのと外国人が日本で暮らすのとでは、同じ生活でも、たとえば買い物をするだけでも世界はまったく違ったものになります。田舎暮らしと都会生活、平凡で退屈な学生生活といじめを受けている地獄のような学生生活、モテモテのイケメン、美少女と地味で誰も相手にしない爪弾き者とでも、大きく生活は変わっていくでしょう。
 これらは、状況が違えばここまで違うのかという1つの極端な例かもしれませんが、状況設定とは、その世界で主人公がどのような状況に身を置いていて、どのような制約の中での生活を強いられ、そしてどのような状況の中で行動していくことになるのかということのなのです。
 その意味では、いろいろな状況を経験している人ほど、この状況を考えるのは有利になりますし、また自分はそうではなくても、人の痛みを理解できる、人の身になって考えることのできる人は、この状況設定をつくるうえで、大きな力となるでしょう。
   
   
ありきたりな世界観にならないためには、「1つだけ『異質なもの』を組み込もう!」
   
 世界観づくりで、日常的な世界観はもちろんのこと、とくに異世界の世界観をつくる際に悩むのが、「ありきたりになってしまうのをどうすれば避けられるか」という課題です。
 これはなかなか難しいことなのですが、ありきたりにならないような世界観をつくるうえでできるのは、「ありきたりな世界観に、1つだけ自分独自の『異質なもの、要素、設定』を組み込む」ということです。
 とくに異世界などの舞台設定を考える際は、どうしてもありきたりになります。でも、世界観自体はありきたりでもいいのです。ただ、そこに1つだけ「異質なもの」をプラスするのです。
 たとえば、『風の谷のナウシカ』の舞台は、核戦争後の荒廃した世界で、かつての文明や科学技術が失われた、どこか「スチームパンク的」なビジュアルの世界観が設定されています。しかし、このような世界観は、いってしまえば他の作品にもあり、ぶっちゃけ、ありがちなものです。
 ではなぜ、あんなにも『ナウシカ』の世界観は、オリジナリティがあり、魅力的なのでしょうか?
 その秘密は、ありきたりの世界観に加えられた宮崎駿独自の「異質なもの」の設定にあります。宮崎駿のすごいところは、この割とありがちな世界観に、「腐海」と「蟲」というめちゃめちゃ異質な要素を加えたことです。
 腐海は有害な瘴気に満ちた菌類の森で、そこに住む巨大な「蟲」たちが、この世界を支配しています。蟲たちの中でも、もっとも不思議な存在「王蟲」、そんな腐海と蟲たちを巡って繰り広げられる愚かな争い、そんな、『ナウシカ』独自の腐海と蟲の設定が、他の作品には類を見ない、独自の世界観になっています。
 同時に、この腐海と蟲の設定は、ナウシカというキャラクターの人となりを描き出す大きな効果があり、また、そのような極限的な世界の中で、さまざまなキャラクターがどのように考え、行動するかで、多くのキャラクターを立てるのにも大きく役立っています。これは「リトマス法」と呼ばれるキャラクターの立て方で、1つの出来事とか事件、事故、状況、特定のモノや場所などに対してどのような反応、リアクションを示すかで、たくさんのキャラクターをいっぺんに立てることができる方法です。『ナウシカ』にとっては、それが「腐海」であり「蟲」なのです。
 世界観に関しては、このような1つの独自の異質な要素を盛り込んで、それに対して登場人物たちの十人十色の反応を示せるような舞台設定を考えるといいかもしれません。
   
 また、『ベルセルク』という作品では、よくある剣と魔法の世界観に、「ベヘリット」と呼ばれる「不思議な力を秘めた謎の石」と、「使徒」と呼ばれる「人間を超越した転生者」という独自の異質な設定が盛り込まれています。
 この「ベヘリット」の力を使うと、人は異界の力をもって転生して、神の如き力を持った「使徒」になることができるのです。『ベルセルク』の物語は、そんな不思議な力に人生を翻弄される多くの登場人物たちのドラマが描かれています。
 このような設定と世界観によって『ベルセルク』は、よくあるファンタジー世界が舞台の英雄譚ではなく、熱狂的でコアなファンを多く持つ、独自の世界観をつくり出すことができたのです。
   
 舞台はありきたりなものでいいので、1つだけ異質な、独自の要素を入れ込んでみてください。
 それは、登場人物全員に関わってくるようなものであり、さまざまなが反応を示せるものであれば、なお良いです。
 そして、その要素に対して、登場人物たちのそれぞれの反応を描いてキャラを立ててみてください。
    
 また、その「異質な要素」には、何か「大きな秘密」をもたせると良いと思います。
 この秘密が、謎になります。
 「腐海」にしても、「ベヘリットや使徒」にしても、何かしらの秘密を抱えています。
 だから、大掛かりな要素を盛り込みたい場合は、世界や世界の成り立ち、世界に大きな影響を与えるような秘密を秘めた要素を、独自の異質な要素として組み込んでみてください。
 そして、その際も、必ずキャラクターをそばに置き、照らし合わせながら考えるようにしてください。
   
   
異能力、武器についての設定の考え方
    
 さて、世界観、舞台設定に関連する際には、作品によっては「異能力、特殊な武器」の設定が登場する場合も多いかと思います。
 この「異能力、特殊な武器」と世界観について、その関係性やつくり方のコツを考えていきたいと思います。
    
 じつは、これら「異能力、特殊な武器」に関する設定も、世界観の設定と同じように、「キャラクター」との関連性を重視し、世界観の一部ではなく、「キャラの一部」として考えていくことが大事になります。
 なぜかといいますと、異能力や武器も、やはり描きたいキャラクターが先にあって、その後で生まれる要素だからなのです。
 映画『スター・ウォーズ』の第一作目(エピソード4)の制作の成り立ちを見ると、そのことがよくわかります。
 同作の監督ジョージ・ルーカスは、元々日本の「時代劇」映画の大ファンで、自分でも「時代劇」を日本でロケをして撮影しようとしていたのですが、さまざまな事情、理由で、それが叶わなくなってしまったのです。
 そして、日本以外の場所では「ルーカスが目指す時代劇」を撮影できないために、(これは想像なのですが)「しかたなく」宇宙SFという舞台を借りて、時代劇を撮ることにしたのだと思います。本場の日本で撮影できないなら、思いっきり違うところを舞台にするしか、時代劇を撮る手段は残されていなかったのだと、当時の状況が推察されます。
 だから、SFの世界観に「時代劇の侍というキャラクター」を組み合わせて、『スター・ウォーズ』がつくられたのです。たぶん、そうするしかなかったのです。ルーカス的には、すごく不本意だったのかもしれません。だって、ルーカスが描きたかったのは、「侍」というキャラクターだったからなのです。
 しかし、その結果、よくあるSFの世界観に、侍というまったく異なる要素が組み合わされて、あの最新鋭のテクノロジーと、東洋神秘思想のスピリチュアルさが混じり合った世界観が生まれたのです。
   
 そして、ここからが本題ですが、おそらく、あのめちゃくちゃかっこいい特殊な武器である「ライトセーバー」や、その武器を使いこなす「ジェダイの騎士」の設定も、宇宙船が飛び交い、光線銃で打ち合う「SFの世界観」に「侍というキャラクター」をマッチングさせるために、「やむなく、必要にかられて」つくった後付の設定なのではないかと、筆者は思っています。
 異能の力「フォース」の設定にしても、キリスト教圏である米国で、そのキリスト教の3人の神のうちの1人である「聖霊」と呼ばれる神がもたらすと考えられている「人間に対する導きや霊感」が元ネタだという分析がありますが、おそらく、「侍」という存在の持つ神秘的な部分、禅や悟りなどといったスピリチュアルな部分、それらをひっくるめて「東洋的神秘思想」的な部分をそれらキリスト教的な背景と融合させて、「宇宙SFの世界観」で表現、成立させようとしてできた設定なのではないかと個人的には考察しています。
 『スター・ウォーズ』はSF作品でありながら、世界各地のさまざまな神話や、『指輪物語』などの古典的ヒロイックファンタジーの冒険物語、成長物語の要素なども取り入れて、マッチングに役立てたのだとと思います。
 もしかしたら、オビ=ワンという「侍」と、ルークという「侍の血を引き、侍になる力を持った青年」の成長物語というモチーフも、SFの世界観にマッチングさせるために用意されたものなのかもしれません。
 『同作EP4』のオビ=ワンの人物像は、まんま『指輪物語』の魔法使いガンダルフであり、その外見のビジュアルは、外套やローブなどを身にまとった旧約聖書に登場するモーゼなどの「預言者」だからです。すべてを悟り、人生の教訓を語り、主人公を正しき道へと導く姿は、まさに預言者です。
 そんなふうにして、モノホンの時代劇が撮れず、ある意味仕方なく、不本意ながらつくられた『スター・ウォーズ』ですが、(たぶん)当初の思惑とは逆に、東洋的な思想的な部分、神秘的な存在、剣で戦うというアナログさ(?)が宇宙SFの世界観とギャップになって互いが引き立てあって、あの驚異的で、多くの観客を魅了する世界観が生まれてのではないかと思います。
   
 その意味では、拳法というアナログなものを、核戦争後の世紀末(映画『マッドマックス』まんまですよね)に
組み合わせることで生じた『北斗の拳』と同じなのではないかと思います。
 近未来刑事アニメ『サイコパス』も、同じことがいえるのではないかと、個人的には推察しています。
 同作の独自の設定である「犯罪係数(人間の心理状態や性格的傾向から、犯罪を犯す可能性を示す数値)」や「ドミネーター(犯罪係数が高まった人間を取り締まる特殊銃)」(超かっこいいです☆)も、「刑事というキャラクター」を、「近未来の世界観」で描くうえで考え出された設定であり、武器なのではないかと、考えられます。
 同様に、近未来で刑事モノを描くという 考え方でつくられているであろう作品としては、アンドロイドやタチコマなどの多脚戦車などが登場する『攻殻機動隊』や近代兵器や電脳戦と魔術や呪術、喋る魔剣などの最先端と古代のテクノロジーが共存して、敵である「異世界から来襲する魔物『ルシファーホーク(妖魔)』」と戦うためにつくられた警察組織「AMP」といった設定が登場する『サイレントメビウス』などがあります。
 いずれの場合も、
   
①まず、描きたい「キャラクター」がおり、
②次いで「そのキャラを引き立てる世界観との組み合わせ」を考え、
③最後に「キャラと世界観をマッチングさせるために、必要な『異能力』や『特殊な武器』といった設定」を後付で考えていく。
   
……というやり方で、つくられているであろうと思われます。
 異能力や武器を設定する場合は、この手順で世界観などを構想していくと、よいのではないかなと思います。
 加えて、異能力は、読者の持つ願望を叶える要素を盛り込むことも忘れないようにしましょう。
    
 なので、異能力や武器は、作品の内容を鑑みて、「世界観とギャップになるもの」、もしくは、「世界観とかけ離れたものをマッチングさせるために設定されたもの」の、いずれかを考えるといいと思います。
    
    
作品の「リアリティ」は、どうすれば出せるのか?
   
 世界観に関して、とくに異世界や未来といったところを舞台にしている作品の場合、その世界に「リアリティ」が感じられないと、読者がいまいち作品の中に没入できないという場合があります。
 リアリティとは、現実感、物語ということに関していえば、「あたかもその世界が存在しているように思えるかどうか」、ということにほかなりません。
 よく「神は細部に宿る」といわれますが、架空の世界、舞台という「大きなウソ」をつくには、そのウソを本当であるかのように思わせるためには、細かい部分で「本当のこと、現実感」を積み重ねていくことが、とても重要になります。細かい部分で、登場人物の身近な部分でウソがあっては、大きなウソに現実味を持たせることはできません。
    
 そのためのもっとも重要なポイントは、「その世界観の舞台で生きている、生活している人間を描く」ということです。
 世界観にリアリティがないという読者の感じる印象の原因は、「その世界観で暮らしている人たちがリアリティがない」ということに他なりません。
 ぶっちゃけ、世界観に関しては、物語を読んでいては、そんなに気になりません。
 気になるのは、キャラクターです。登場人物たちは、その世界に実際に生活している人々です。生業を持ち、食料を得て、教育を受け、娯楽を楽しみ、衣食住を行っている、その世界に実際に存在する人間なのです。
 だから、世界観がよく書けているという作品は、その世界観で暮らす人々(主人公や他の登場人物もその1人です)が、よく描けている、そこにウソがないということなのです。しかも、それを「説明ではなく、描写する」ということが、
ポイントなのです。
   
 逆に、世界観にリアリティを与えるために、その世界に関するあらゆる膨大な設定を考え、それを作品の中で描こうとすると、リアリティは失われていきます。
 なぜなら、物語の世界観は、キャラクターたちがいて初めて、成り立つからです。
 その世界観の影響を受けながらそこで暮らす人々の生活、そこにこそリアリティを求めるべきであり、そのような人々を描くことが、世界観を描くことなのです。
 もちろん、時代劇や特定の地域(国内外含む)を舞台にした作品では、最低限の時代考証やその文化、風習、風俗、所作、言葉遣いなどを描かなければ、読者がリアリティを感じられないという場合はあるかと思います。
 しかし、それもやはり「人物を介して描いていく」ことが大切です。
 また、時代劇を描くときは、「時代設定や所作、言葉は当時のものを描かなければならないが、登場人物は『現代人』を描かなければならない」と言われています。
 やはり、読者が見たいのは、自分たちが理解、共感しやすい人間たちのドラマなのです。
 つまり、人物に関しては、どんな時代、世界の物語であったとしても、じつは「現代人」を描くうえでのリアリティが必要なのです。
   
   
 設定づくりは、面白いです。細かく考えようと思えば、いくらでも追求できます。
 しかし、設定づくりのみにのめり込みすぎると、細かい設定をつくり過ぎるあまり、キャラクターがどこかにいってしまう「設定に流される」という状態になる恐れがあります。
 そうなると、器だけが立派でも、中身が何も入っていないことと同じ状態になり、器が立派な分、その虚しさ、物足りなさが強調される結果になってしまいます……。
 だから、設定、世界観を考えていく場合でも、必ず器の中身の料理である「キャラクター」から考え、その料理がいちばん映える器はどんなものにすればいいかというように、料理に合わせて器である「世界観」を選択するようにしましょう。
 繰り返しますが、常に「このキャラクターに対して、どんな舞台がいいのか」という形で、発想することを心がけていきましょう。

 

 

 

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